「あ、こんな所にも桜があったんだ」って、開花して初めて気が付くことがありますね。
この時期、街に出て桜を見つけると、嬉しい。
南国に咲く花のように色彩がはっきりはしないけれど、
薄いピンク色で、
花のひとつひとつは小さく、
控えめででも、
満開のときの桜の存在感は、
この季節を待ちわびて一気にそのエネルギーを放っているような、
まるで「生き切っている」ようなせまりくるものがあります。美しい。
人材開発・組織開発を生業にする身としては、
何かを見るにつけて人に置き換えてしまうわけで(職業病)、今年の桜を見てこんなことをつぶやいてしまいました。
「隠れていないで、年中そうやって美しさを見せたらいいじゃん」
すみません。そんなこと言ったら身もふたもないですね。
期間限定だからこそ美しい、咲いていないときとのコントラストが美しさを引き立てているともいえます。ハレとケという文化もあります。年中咲いていたら、中目黒はあれほど混まないでしょう。
自分のパーパス(生きる意義)を持って生きる友人、知人をたくさん知っています。
彼ら、彼女たちは、
春になって暖かくなったから咲く(環境が整ったら自己表現する)のでなく、
ひっそりと美しく咲く(人の目につかないところで自己表現する)のではなく、
今ここで、毎日変化のある、その自分の生きている環境で
自らの意思で、遠慮なく自分を表現する。毎日を生き切っている。
Show off(見せびらかす)しているわけではないのに、誰にでもわかりやすい。
自分の弱さや醜さも受け取っているからこそ、見せることに躊躇がないのかもしれない。
そして、本当に美しい。
彼ら、彼女らをみていて、生きることそのものがアートだと感じます。
さいわい、お花が咲いている場面に立ち会える仕事をしていますので、
多くの人の美しさを目にし、その美しさに手をあわせたくなるほど感謝の気持ちが湧きます。
周りの環境によらず自己表現することは決して自己中心的なことではなく、自分のまわりを少し良くすることにつながるはず。お花がお花を呼ぶ。それがリーダーシップだと、信じています。
あなたのお花はいつ咲いていますか?
どんな形? どんな色?
(あさの)